高田純次さんの名言
年を取ってやっちゃいけない3つの話「説教話」「昔話」「自慢話」という高田純次さんの名言がある。
テレビでみていると、明るくて面白いイメージの高田純次さんだが、これは本当に名言だと思う。
自分では気が付かないうちに、この3つの話はしてしまいがちだ。
自分が部下だったころ、上司からされていやだと思っていたことを自分がしてしまう可能性があるのだ。
自分は自慢や説教していないか
自慢や説教は聞いていて気持ちのよいものではない。
でも、自分が後輩と話しているときについつい自慢話や説教をしていないか振り返ってみたい。
自分の持っている知識や、経験が役に立つと思って後輩に伝えるとき、説教になっていないか。
本当に自分の知識や経験が後輩にとって役に立つものなのか。
もしかしたらただの独りよがりの説教になっているのではないだろうか。
説教は上から目線での話になる傾向がある。
相手にとっては下に見られている不快感は拭うことができない。
今のように変化の速い時代では、自分の知識や経験が役に立たないことも多い。
自分の武勇伝も後輩に話しても意味がないものだ。
昔はこうだった、昔の自分はこんなにすごかったなど、過去の栄光を話していないか。
昔話を聞かされている側としては、昔と今とでは時代が違うのに聞いていてもただの時間の無駄である。
時代錯誤の話にあきれられてしまうこともあるだろう。
目の前の時代を見ずに、過去の栄光にすがっているのはただの可哀想な年長者となってしまう。
今を楽しんでいる良い年の取り方をしている先輩として見てもらえるような振る舞いをしたいものだ。
自慢話は孤独の現れ
自慢橋をしている人は孤独を感じているといわれている。
自慢話をすることで、周りから認めららえたいという思いが隠されているのだ。
自分が認められたいという思いが強い人ほど自慢話をしがちになる。
自慢話をすることで、周りに認められているという気になり孤独感を紛らわしているのだ。
しかし実際のところはどうだろう。
自慢話をされている側となると、鼻につくもので不快でしかない。
自慢話ばかり聞かされているのがいやになり、少しずつ距離をとるようになってしまう。
つまり自慢話で孤独を紛らわしていたはずなのに、逆に孤独感を強めてしまうことになるのだ。
後輩と上手にコミュニケーションをとる
後輩とのコミュニケーションをとるときには、「説教話」「昔話」「自慢話」になっていないか注意しなくてはいけない。
でも「説教話」「昔話」「自慢話」を抜きにすると何を話したら良いのかわからないという人は、まずは聞く側になってみよう。
自分の話ではなく、人の話を聞く側に回ることで、自己有用感を高めることもできる。
相手を不快にする自己顕示欲の塊のような話題を切り離すことで、後輩との上手なコミュニケーションにつながるのだ。