こんにちは。日々プログラマーとして仕事と趣味に全力投球する男・中山である。最近小学校にやっとプログラムの授業が必須されたが、中山的には必須にすること自体ナンセンスに感じて仕方ない。それは、置いといてなぜ私がプログラマーとして仕事に就こうと思ったのか皆さんに話していこうと思う。この記事を通してプログラマーの裏側やシステム開発などに興味を持ってもらえたら幸いである。
プログラミングに興味を持ったキッカケはゲーム
私がプログラミングに興味を持ったのは、5歳くらいの時である。父親がゲーム機でゲームではなく、何か作業をしていたのだ。しばらく作業を見ていてわかったのだが、父親はどうやら自分でRPGゲームを作る「RPGツクール」というゲームで自分の作ったゲームを同僚にドヤるために、懸命にゲーム機にむかっていたのである。当時の私は最初、親が夢中になっていたのでなかなかRPGツクールを触らせてもらえる機会がなく、父親を手伝うつもりで「こんなキャラクターどう?」と子供ながら父親のためにキャラクターをジャポニカ学習帳によくかいていた。しばらくして、父親のRPGツクール熱がさめたころ、「これやってもいい?」と父親に許可をもらってプレイできるようになった。当時の私はプログラミング言語など知らず、RPGツクール内にある素材や音楽データで自分の思い描く世界をゲームにしていたのである。2年くらいやりこんでいると、ゲーム内のデフォルトの音楽やデータでは限界があると感じ始めた。そこで、「そもそもゲームの仕組みってどう動いんているんだろう」とさまざまなゲーム関連の雑誌を調べていると、Rubyというオブジェクト指向言語を拡張して開発されていると知ったのである。
プログラミングをするためにパソコンを買ってもらった
一度知ってしまったらとことん突き止めたい男・中山は、父親に頼み込んで当時の価格で38万円するWindows95搭載パソコンを買ってもらったのである。父親も興味があったようで私のわがままに応えてくれて感謝をしている。当時のパソコンの多くはC言語が主流で、目的のRubyを勉強するにはネット(上限速度64Kbps)につないでダウンロードするか、雑誌の付録を買ってきてインストールする必要があった。だが、ネットは今のような高速回線ではなく、ダイアルアップという方式しかなかった。そこで、専門雑誌が売っている大手書店でRuby書籍とデータをゲットしたのである。こうして私のプログラマーとしての人生がスタートした。現在Rubyはさらに飛躍し、Ruby on Railとして高速にWEB開発ができるツールとして世界中で使用されている。プログラムの面白いところは無から有を生み出せることだ。プロジェクトリーダーとして活躍する私は当時の面白さを忘れずに仕事にいそしんでいる次第である。また、当時38万円もする高価なパソコンを買ってくれた父親には感謝してもしきれない。